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今回は「指導者の責任」というタイトルでお話をしようと思いますが、あまりにも重く深く複雑な事がらですので大変難しく、皆さんはたしてご理解いただけるか、少なからず心配です。
いろいろなご意見が出ると思いますので、いつか又、皆さんとご一緒に、この事について話し合うチャンスをつくりたいと思います。
今の日本でクラシック音楽は、どのような存在でしょうか。クラシック音楽が無くては、死んでしまう!と思っている人が、どのくらいいるでしょうか。つらい練習を重ね、遊ぶ時間もけずってピアノをさらい、音大を出たのに、満足な収入を得られず、さりとて、一流のピアニストにはとてもなれず、リサイタルも開催できず、日々悩んでいる人も、少なくありません。多くの音大卒業生たちが希望にもえて未来を夢見て、社会へ出たとたん、現実の冷たさ、厳しさを実感して驚いたことと思います。
私もその一人でした。今もこの実感は変わっていません。パリ留学を終え、国際コンクールも通って帰国した私に与えられたのは、ひどいものでした。
1969年、まずA大で非常勤の話がありましたが、ピアノ科ではなく、ソルフェージュ科でした。ピアノ科の非常勤になるには、日本の4年生大学の資格が必要。だから通信教育をとるか、大学院に入り直して資格をとりなさい、という話でした。一時は芸大大学院を受験しようと思ったのですが、やめました。
そしてB大の非常勤になりましたが、最初は助手という資格で、月額2600円余でした。こんな有様でしたが、日本というところは、大きな組織に所属している者の方が非常に有理で、個人の活動は「ごまめの歯ぎしり」に等しく大変。心身共に疲れ、苦しいもの、という実感は、今でも変わりありません。年に数回のコンサート活動から始まって、40代後半には、毎週コンサートに出演できるようになり、50代に入ってからは有名(実力のある)な外来のアーチストと共演できるようになりましたが、それでも、出演料だけでは暮らせませんでした。生活の糧となったのは、学校(音大)で教え、個人レッスンをすることでした。
このような状態を38年間位つづけて参りましたが、実に様々な先生と出会い、生徒と出会いました。いろんな出会いがあると同時に、いろんな別れもありました。そして結論は「日本人の間での師弟関係は、非常に複雑で難しい!」ということです。100組の師弟子があれば、100の形態があります。ひとつとして同じ形態はありえません。なぜこんなに、様々な形態が生じるのでしょうか。
これは、私の考えですから反論もあると思いますが、原因のひとつとして、日本の中で「クラシック音楽は、まだまだ異文化でしかない」という点を常に意識している人が少なすぎるということだと思います。日常的にコンサートが開催され、ピアノを所有している家庭が増え(実際には、ひかれていないピアノの方が多い)音楽教室が沢山あり、小さい子供たちが通っている現状ですが、そのレヴェルは決して高くありません。
たとえば100人の子供たちの中で、本格的に専門家になれる人は何人いるでしょう。1人の子供が成長する過程で、何回の試練があるでしょうか。受験勉強、塾通い、家庭の事情、経済事情など、数えきれない試練があります。まるで、サケの稚魚が海へ出て、再び生まれた川へもどる為、死の旅をしているにも似ていますが、私たちのやっている勉強は、死ではなく「音楽の喜び」へ向かっての、長いつらい旅をどう歩むかであり、その過程で得るものは人によって様々でしょう。
良き師との出会い、あるいは、ケンカ別れした思い出、すばらしい演奏会を聴いた感動、自分が気に入った曲を演奏し、他人にほめてもらったこと、あるいは逆に、ひどくけなされたことなど、様々な場面が生まれるでしょう。そんな中で、先生との関係は重要な役目を持っています。少しきつい言い方をすると、日本でしか通用しない音楽を教えていることに気が付かない先生と、「異文化」であることをきちんと認識し、生徒達に違いを教えることができる先生と、あなたならどちらを選びますか。
私なら、後者の先生を選びます。私は現実に、いろんな事例をこの目で、この耳で体験してきました。日本国内でトップレヴェルといわれたピアニストが海外コンクールの第一予選で落ちていること、ベートーヴェンひきを自認している人が、海外でまったく通用しなかった例。音大を出て、意欲満々で留学したら、すべてを否定され、ノイローゼになって帰国した例。数えあげたら切がありません。そして結論として、日本人の先生の教えは間違いだ!という判断を下してしまうのです。
私も、実はそうでした。芸大中退でパリ国立高等音楽院に留学した折は、日本でやっていたことはすべて「無」ではなきか、と思った程です。つまりそれ程「異文化」であるということです。日本人の先生が、すべて間違っているとは思いません。ただ日本の中にいて、日本の社会のシステムにどっぷり浸かって生活をしているうちに、いつの間にか「西洋音楽のニュアンス」が「日本のニュアンス」に変化してしまうのです。そのことに気が付いている人はどれくらいいるでしょうか。もし日本の中で「西洋音楽のニュアンス」を持ち続けるとしたら、ものすごい努力と経済力が必要となるでしょう。それができる人は、極めて少なく、本質的にはDNAも伝統も変えられない!という現実に直面するだけです。
そんな中で子供達に「ホンモノ」を伝え、指導していることは、ものすごく大変な努力を必要としています。
先生は常に、勉強していなければ、どんどん日本的西洋音楽と化してしまいます。気が付いたら和風の味付けをしたショパンやベートーヴェンをきいたり、ひいたりして満足してしまうようになります。もちろん、日本に居住しながらですから、限度はあるでしょう。が、指導者は常に「ホンモノ」を追い続けてほしいということです。その先生の後姿を生徒は見ています。感じています。生徒の親達もそうです。
だから、生活の為に生徒を教えていても、低いレヴェルで妥協しないでほしいのです。3年後、5年後にたとえば生徒が手元から離れていっても、あの先生に指導してもらっていて、本当によかった!と言われるようなレッスンをコツコツとやってほしいのです。きっと何かが手ごたえとして残るはずです。
音楽教室の講師としてレッスンをする立場にあると、いろいろな制約があります。時間のこと、教材のこと、レッスン料のことなど、限られた条件の中で、できるだけのことを誠実にやっていく!それが、今の私たちに求められている最大のことではないでしょうか。そして、先生自身がいつも勉強しつづけること!!いつの日か、クラシック界冬の時代を春の時代へと変えられるかもしれません。皆さんの力で変えてみようと思いませんか。
佐々木弥栄子



