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―以前、みなさんの読譜力が落ちてるというお話をされていましたね。
そうなんです。小さい子から大きい人までみなさん読譜力がすごく落ちてますね。楽譜は穴が開くほどレントゲンをかけて見ないといけないんだけれど。
―それがなかなか難しいんですよね。
そうね、クセがついてないというか。あのね、より複雑に分解すればいいんですよ、私、細胞練習って言ってるの。1音を1つの細胞と考えて、10個集まったらワンフレーズになったという風に考えるの。和音なんかも、4つの音がお団子で串に刺さっていたら、1番上の旋律、2番目の旋律という風に、旋律線を重ねていくのね。するとどこで何調に転調するからここでシャープがついた、とかそういう事がわかってくるのね。
―本当にひとつひとつの粒を読んでいく訳ですね。
〜ここで、先生のノートを見せていただきました。楽譜というよりはメモという感じです〜
これ、ハチャトゥリャンのポエムという曲を分析したものなの。最初の1〜4小節をAのaとしてこれが第1主題、次の5〜7小節、奇数だけどこれがa’という風にね。ロシアの音楽って結構奇数の小節で動いてるんですよ。要するに言葉のイントネーションによって韻律が違ってくるのと同じで、言いたい事をちゃんと言う為には奇数小節も出てくるわけ。全部偶数では動かないの。ロシアだけじゃなくて現代音楽なんかもね、1つの小節だけポツンと4分の1拍子とかね。でもそれがないと間が抜けちゃう。そういうのを読み取っていけばいいんですよ。 でね、このノートは他の人が見ても全然わからない。弾く人しかわからないけど、楽譜を持ってない時はこれを見ながら自分で構成していくの。これを作ることによって、もうひとつ違う観点から勉強することができるのね。
―でもこの方法って頭の中が整理できて暗譜に役立ちそうですね。
ええすごく役立ちますよ。でね、このノート、終っちゃうと全部破いちゃうのよ。
―えー、どうしてですか?もったいないと思ってしまいますが。
次弾く時はもう1回作るの。絶対取っておかない。昔、アシュケナージが言ってたの。「過去は絶対振り返らない」って。だから自分が録音したものは絶対聴かないんだって。未来を見て前進するしかないものね。
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―先生のCDを見せていただきましたが、最後の1曲以外は全部ロシアものですね。
そうね。このムソルグスキーなんてね、42歳で亡くなったんだけど、最後はアルコール中毒専門の病院で息を引き取ったの。この「村にて」って曲はその中毒が原因で起きた幻覚の中で書いた曲でね、あっちこっち飛んでるの。何と言ったらいいのか、危機迫るものがあるのね。
―生と死の狭間をいくような。
そう。それでね、私この人の曲を本で出したから、日本で8曲ほど初演したんだけど、その時に彼の精神状態が乗り移っちゃったの。躁鬱になっちゃったの。弾き終わってから2週間位経ってるのに、突然ケラケラと笑い出しちゃったりしてね、すごく怖かった。私は曲からかなり移っちゃうから、あまり精神状態の激しい曲は弾けないの。この人はかなり激しい人でね、きっと涙をポロポロ流しながら書いたんじゃないかって曲がたくさんあるのよ。
―そういえば残っている肖像画からもアルコール中毒の症状が見て取れますよね。
そう、あれは晩年の症状がひどい時のものだからね。お母さんが亡くなってからアル中がひどくなったんですって。曲を書く、って言ってスポンサーからお金をもらっては全部飲み代に使っちゃったり、その曲も途中までしか書かなくてほったらかしたままだったりね。でもそういう中途半端になった曲を、後でリムスキー=コルサコフが一生懸命まとめて書き直したのよ。そういう事ってやっぱりお互いの才能を認め合ってないと出来ないわよね。

―ところで先生の好きな作曲家は誰ですか?
好きな作曲家ねぇ。若い頃は随分好き嫌いがあったけど、この歳になったらみんな好きになっちゃった。強いてロシアもので言ったら、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ハチャトゥリャン。ロシアもの以外では、今、ショパンが大好き。
―その中でもとりわけ好きな曲はありますか?
それはもう、ハチャトゥリャンのソナタ。残念だけどこのピアノじゃ弾けないんです。弾いたら一発で壊れちゃうから。このピアノはね、東芝EMIの録音スタジオが出来た年に入れた第1号のピアノを、のちに私がいただいた物で、すごく大事なピアノなの。だから絶対壊せないの。
―ピアノが壊れちゃうんですか。
1週間に2本くらい弦を切りますね。ひどい時なんていっぺんに3本くらい切っちゃう。何故切れちゃうかというと、ハチャトゥリャンは民族楽器の打楽器をたくさん使う人だからピアノを一種の打楽器として扱ってるの。fffなんて音もあるからね。広いコーカサスの大地とか、草原を思わせるような音楽が多いから響かないとダメでしょ。それで思い切って弾かないといけないんだけど、そうするとパツーンと弦が切れるのね。
―弦が切れちゃったら大変ですよね、自分では直せないですし。
ロシアなんかだとピアノの先生ご自身が弦を張っていますよ。私のついたケレル先生は調律もご自分でされてた。それが当たり前なんですって。それに調律師を頼んでも来てくれるまでに1年以上もかかるんだって(笑)
―考えてみたら、他の楽器は全部自分で調律しますもんね。チェンバロなんかも持ち運んで自分でやりますし。
ハープも自分でやってますよね。

―先生は、最初にフランス音楽を勉強されて、その後ロシア音楽を勉強されたんですよね。
そう。でもそれが問題あり(笑)。最初、芸大で安川加寿子先生についてたから、フランス音楽のスペシャリストになりたくてフランスに留学したの。でも向こうでやっていくうちに、自分の持ってるDNAがフランス音楽に合わないっていう事がわかったの。
―DNAが合わない?
ええ、つまりフランス音楽をやるには、私の感情がオーバーすぎたの。だからいつも「やりすぎ」って書かれてた。ところがその事で悩んでる時に、ロシア音楽に出会ってケレル先生についたら「まだ足りないから、あと3倍出してくれ」って言われたのね。もっと出していいって。ああそうか、もっと思い切って歌っていいんだなって。それからいろんな意味で自分の器が広がっていったのね。例えばフレーズの息の長さとか、ディナーミクの大きさとか。かなり大きくなりましたね。そうすると今度フランス音楽を弾く時は75〜80%でらくらく弾けるようになったんです。
―私はロシア音楽って、手が大きい人のものだろうとか、うるさいとか思ってたんですね。要するに弾かず嫌いだったんですが。でも勉強してみて、とても幻想的でファンタジックな世界だし、絵画的な要素がたくさんあるなと。だから今すごく弾きたいんです。
手について言えばね、私は最初にラフマニノフのエチュード「音の絵」作品39から入っちゃったの。5番と9番から入ったんです。その頃はまだ今みたいに自分の手を改革してないから、2日弾くと手が丸太棒のように腫れて開かなくなってたの。それで毎日のように指圧に行ってたんだけど、これじゃ経済的にも大変だし演奏会で弾きたい曲も弾けないから、何とかしないといけないって思った事が体を改革する第1歩だったのよ。
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まず、手にたくさんの責任を負わせないということが大切なの。そのためにひとつずつの和音のポジションと形を、全部変えていったんです。そうしたら痛まなくなったの。
―ひと口に「変えていく」といっても、それは大変な作業ではないですか。
変えるって言っても、ほんの1ミリ動くか動かないかなの。1ミリ手前で弾くとか1ミリ奥とかね。それを全部自分でやり直しました。
〜ここでいろんなピアニストの手が載った写真集をみせていただきました〜
見て下さい。誰も手を丸めて弾いてないでしょ。昔は手を卵のように丸めて弾くといわれてたけど、今は違う。ほんというと伸ばさないといけないの。それもただ伸ばすだけじゃなくて、出発点である指の付け根が出てるかどうかが大事。それまで私の小指は寝てたのね。でもそれだと取れる限界がくるわけ。それで私、この写真集を見て自分の手を直したの。それとね、これはヨーロッパで言われたんだけど、小指の長さが、薬指の第1関節よりも短かったらピアニストを諦めてくれって。
―あ、私のは微妙に短い(笑)
ほとんどの日本人が短いのよ。これは民族の違いだからしょうがない。ほら、気を付けて見てごらんなさい、男の人でも短いわよ。(でも先生のは長い!)
(ヨーロッパのピアニストの手の写真を見ながら)
見て。この人なんか親指以外の4本の指の長さがほとんど同じでしょ。こういうのを見るとやっぱりピアノはヨーロッパの人のために作られた楽器なんだと思うわね。日本人のために作られてない。でもそんな事言ったってしょうがないじゃない、それなら自分の体をピアノに合わせるしかないのよ。そしてそこから自己改造が始まるのよ。
―自分の体をピアノに合わせる・・・そういう発想はなかったです。
短いものにプラスする訳にはいかないんだから、どうやって短い指を有効に使うかとか、どうやって他の指を痛めないでバランスよく弾くかという事を、一人一人の手の持ち主が考えなくちゃいけないの。
私ね、転んでもタダで起きないようにしてるの。何かマイナスの事があったら、それをプラスに変えなきゃいけないなって。じゃないと辛いことばかり重なるでしょ。私、練習する時に、いつもショパンのエチュードを弾くんだけど、実は3年前に下の階の人からピアノの音がうるさいっていわれたの。それでゆっくりと、どの曲も1回だけ弾くようにしたの。2度も3度も弾かずに、集中して1回だけ。それもピアニッシモで、おまけにソフト踏んでね。そしたら、今まで脱力ができないできない、って涙流しながら歯を食いしばって練習してたのが、その練習をすることで全部脱力できるようになっちゃった。最高に難しいという脱力が。10本の指がものすごく動くようになって拡がるようになって、左手なんて1度大きくなっちゃったの。もともと10度とれてた右手より楽にとれるようになったくらい。
手の形や指の長さは人によって千差万別だから、皆が皆、私の真似をしても上手くいかないかもしれない。ただしヒントをあげる事はできるから。手の事はね、真剣に考えてる人が本当に少ないんですよ。みんな弾けない、弾けないって言ってるけど、弾けない格好で弾いてるから余計弾けないんです。それでも日本人はみんな器用だから弾いちゃうけど、もしこの手の事を知ってたら怖気づいちゃう人もいるかもしれないわね。
それからピアノを弾くっていう事は10本の指が別々の動きをしないといけないという事でしょ。その10本それぞれに長短があって、強弱がある。クセもある。まずその10本が独立しないといけない。それに加えてもっと速く動けとか、もっと情感を込めろとか、そういう事を全部指だけに責任負わせたら、指はたちまち壊れちゃうのね。だから指は2割くらいの責任で、残りの8割は、からだ全体で補うの。あと頭脳とね。
―指はたった2割でいいんですか。
ピアノっていう楽器は腹筋8割っていわれてるのよ。それから左足がとても大事。ピアノを弾く時、右足は全部ペダルに取られちゃうから、重心は常に左足で取ってるの。ヨーロッパでは左足がよく動くピアニストは良いピアニストだって言われてるのよ。よく外国人の男性ピアニストが弾いてる時、左足が椅子の下に来てるでしょ、あれは左足に重心を入れてるという事なの。
―お行儀が悪いんじゃないんだ(笑)。
足が長すぎるわけでもないの(笑)。ちゃんと意味があってそうしてるのね。この下半身のバランスについては、日本では教えてくれなかった。ヨーロッパに行って習いましたね。
―子供達に教えてる先生方が、たくさんいらっしゃると思うんですけれど、いい手の形って、どうやって教えてあげたらいいのでしょうか。
あのね、私の長い経験でいくとね、指の事を教えて、ついて来れる子は100人に1人位しかいない。指の事を言ったために、もう次の週から来なくなっちゃう子もいるの。それでね、一番いいのはね、先生が目の前で、良い手の形で、良い音を出して弾いてあげること。それしかない。レッスンの時に生徒が弾いたものを同じ場所で、良い音で、良い手の形で、ものすごく音楽的に弾いてあげる事が、一番良いお手本ですね。だから教える人にはものすごく責任があるの。いつもいい形を見せられるようにしないといけない。
―すごい・・・今の言葉、自分の中にズドンと響きました。
カラシが効いた?(笑)
―ある程度弾けるようになると少し難しいものも弾きたくなるし、先生も弾かせてあげたくなると思うんですね。でもそれをやると指がこわばったり力が抜けなかったりして。
そこを強制されるのは、今の子はすごくイヤね。だからといって、じゃあ自分で手探りで発見するかっていうと、しないんですよ。だから結局は目の前で根気強く聴かせてあげるしかないのね。ひとついい方法を教えてあげます。そういう子供達や音大生や、先生をしている人達に合わせた訓練。(辞書を3冊取り出して)こうやって指を開いて辞書を持って、これを上げたり下げたりするの。
(※詳しい方法は先生のレクチュアの中でご紹介しますので、お楽しみに!)
小さい子だったら2冊でいいんだけどね。ちょっとやってごらんなさい、めちゃくちゃ重たいから。
―わー、これ実際やるとかなり重いですね。
この握力がないと、ピアノが弾けないのね。指を開いた状態での握力っていうのはダンベルではつかないの。指は開きながら、指先はタコの吸盤みたいに吸いつかなきゃいけない。それで、このトレーニングを、一日100回やるの。いっぺんにやらずに、間をおいて10回ずつとかね。握力って、ピアノを弾く事だけでつけようと思ったら、一日10時間は弾かないといけない。でも今日は全然ピアノを触る時間がないって時もあるわけじゃない。そういう時にはこのトレーニングだけでもやっておけばいいの。この方法、お金かかんないでしょ。年齢によって辞書の冊数を変えればいいだけだし。
―これはすごいトレーニングですね。早速試してみます。
そして、これやった後に和音を弾いてみて。バッチリきれいに弾けるから。それとね、弾いてる時に肩甲骨が動かないといけないんだけど、日本人はほとんど動かない。
―肩甲骨ですか。それは意識したことないですね。
まず左足から大地を通してエネルギーをもらう。それが腹筋を通って、ここでもう1つエネルギーをもらう。そしてそれを手に伝えるんだけど、その時に肩甲骨から指に命令が出るの。この下半身を全然使わないで上半身だけで弾こうとするから、肩が上がってしまうの。そうではなくて上半身は楽にしておいて、大地からのエネルギーが来た時に、支えてあげる指だけ作ればいいの。 以前沖縄から1ヶ月泊りこみで東京にレッスンに来た人が、腱鞘炎を治して帰ったわよ。弾き方が悪いと腱鞘炎になるわけ。私は自分でさんざん腱鞘炎をやったけれど、弾き方を変えることで腱鞘炎が治まったの。だからね、ひとりでも手の事で悩んでる人がいたら伝えることはできるし、惜しみなく伝えたいの。後はその人の訓練次第でしょ。みんなベストのコンディションで練習できる訳ではないけれど、後はガッツがあるかどうか。やはり最後は、上手くなりたいという気持ちがないとダメね。



