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―先生、今日はどんなお話を伺えるのかとても楽しみです。宜しくお願いします。早速ですが先生と音楽との出会いについてお聞かせいただけますか?
あのね、子供の頃、うちの近所の子供会がものすごく活発な活動してたのね。下は幼稚園から上は大学生まで20人くらいがしょっちゅう集まっててね。そこで歌ったり踊ったりしてる時に、古い中古のオモチャの卓上ピアノがあったのを、私、ポンポン叩いてたのね。その時に何か、両親に言わせると外で聴いた事のある音楽を、すぐそのピアノで弾いてたから、へえって思いながら聴いてたらしいんですよ。でも私は1945年生まれで戦後のモノのない時代に育ったから、その頃ピアノを私のために買ってくれるなんて夢のまた夢だったわね。
―当時は、ピアノというとまだとても高価なものだったんでしょうね。
ええ、そう。それでね、当時通ってた幼稚園の先生が、一週間に一度、一人5分だけピアノを教えてくれてたのね。でも家にはピアノないから、ピアノを持ってる裕福な家まで母に手を引かれて、今日はこっちの家で15分、今日はあそこの家で20分っていう風に練習させていただいてたの。
―家で練習できないのは大変ですね。
ええ、でも幸いにも小学校2年の時にアップライトピアノを買ってくれたんです。そこから夢中になってピアノを弾き出したんですね。その頃はまだピアニストになるなんて事は全く考えてなかったですけど。
―いつ頃から、将来ピアニストになろうと思うようになったのですか?
それがね、小学校5年の時にたまたまNHKの「声くらべ腕くらべ子供音楽会」というラジオ番組に出たんです。その時にメンデルスゾーンの「ロンド・カプリチオーソ」を弾いたの。そしたらたくさん鐘が鳴った。
―難しい曲を弾かれましたね。
ええ、そうね。それでその後に「今度『世界こどもの日』という番組を5月5日にやるから、日本代表で弾いてくれないか」って言われて、赤坂のスタジオに行ったんです。その時の演奏が短波放送で世界中に流れたのね。その時なんですよ、両親が「これはもしかして・・・」と思ったのが。 でもね、私その時に初めてコンサート用のグランドピアノを見たんです、それまではピアノの先生の所に行ってもアップライトだったからね。で、3本ペダルがあるじゃない、私も両親も知らないから、係の人に「3本ある中のどのペダルを踏めばいいんですか?」なんて聞いて赤っ恥かいてきたのよ(笑)。
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―私は子供の頃、母にうるさく言われながらピアノの練習をしてたんですけど、先生はいかがでしたか。
私ね、好きだったんです、ピアノが。すごく好きだったの。だから朝学校に行く前に2時間弾いたりしてましたね。
―学校に行く前にですか。
私の母は口うるさくない代わりに態度で示す人だったからね、練習しないとひと睨みされて、それで身がすくんじゃうの。
―それは恐ろしいですね(笑)
でもね、朝起きるとね、冬なんかちゃんと火鉢に火が熾きてて、手を温められるようにしてあったの。そういう事は前もってやってくれてたんですよ。母はそういう人でしたね。

―ところで朝の練習ですけど、具体的にはどういう練習をされてたんですか。
やさしい曲の楽譜1冊全部を初見で弾いたりしてましたね。あのね、私、初見がすごく速かったの。どうしてかというとね、幼稚園から小学校4年位までついてた先生が、とても良い先生なんだけど、なかなかハイレベルな曲に上げてくださらなかったの。それで同じレベルの曲を何十曲何百曲と弾いてたわけ。それで読譜力が速くなったの。
―やさしい曲を、たくさんこなされたんですね。
ええそれが良かったんだと思いますよ。今若い生徒さん達が、すぐ段を追って難しい曲ばかりをやるけどね、それはやらない方がいい。行ったり来たりの方がいいですね。ロシアがそういう方式なのよ。例えば初歩の段階の本の第1章で、10曲くらい小さな曲をさらうと、いつの間にか難しくなってる。で、次の章へいくと、またやさしい所から始まるんです。それが繰り返し繰り返し行われるの。それはすごくいいと思いますね。
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―ロシアでのお話を少し伺ってもよろしいですか。
ええ。ロシアで私がついてたルドルフ・ケレル先生のお話なんだけれど、先生はもともとドイツ系ロシア人でね、第2次世界大戦の時には収容所に入れられてたそうなのよ。13年くらい。その間ピアノなんてもちろん弾けないから、紙の鍵盤を作ってその上でベートーヴェンやショパンを弾いてらしたんですって。
―ダン・タイソンもベトナム戦争の時に、壕の中で同じように紙の鍵盤で練習してたっていう話を聞いたことがあります。
へえ、あの人もそうなの。だから皆さん、苦労するのはいい事なんです(笑)苦労しましょう。苦労は実になります。それとね、ちょっと余談になるけど、何故ロシアがあんなに素晴らしいピアニストをたくさん輩出したと思う?
―うーん、何故でしょうか。
あのね、私以前、お父様のお仕事の都合でモスクワと東京を行ったり来たりしてるロシア人の5歳の女の子にレッスンしてたことがあるんだけど、ロシアではピアノのレッスンが1週間のうち5日あるらしいの。
―あ、この間韓国の方からお話を伺ってたら、韓国でも1週間のうち3日あるそうですよ。
あら、韓国もそうなの。それでね、だいたい短い曲なら1ヶ月で100曲あがるんですって。
―1週間に5日レッスンがあるとしても、1ヶ月で100曲というのは多いですね!
しかも全部暗譜ですよ。何調でも弾けるんですよ。移調できるの、その子は。日本人ってあんまり移調できないでしょ、それはなぜかというと私達のDNAの中にないんですよ(笑)。
―勉強してきてないって所が、あからさまに出ちゃう(笑)
小さい時からクセをつけておけば、移調に対してあまり恐怖心を持たないと思うんだけどね。私、芸高1年の時の夏休みの宿題が、バッハのインヴェンションの1番を全調に移調して弾く事だったの。でね、実を言うと弾けなくて弾けなくて、あぶら汗流しながら一生懸命弾いてた。わかってるの、頭では。でもスッと出てこない。でね、その時に、私やっぱりDNAがないんだと思ったの。
パリ留学時代にアラン・ベルノーっていう素晴らしいソルフェージュの先生が、「日本人はみんな音感がいいから、ヤエコも大丈夫だろう」って言って、一番難しいクラスに入れられちゃったの。そのレッスンがね、すごいんですよ。先生が即興でどんどん弾いていくのを、調が変わった瞬間に、生徒が順番に何調に移調したか答えていくんだけどね、いつも私の所でつっかえちゃう(笑)またあの子でつっかえた、ってね。ヨーロッパへ行くと、その調の感覚っていう部分ですごくみじめになっちゃうの。ただし、リズムだけは絶対にひけを取らなかった。リズムはめちゃくちゃ強かったの。いつもほとんどパーフェクトでしたね。
―パリでのレッスンは日本でのやり方と違うのですか?
それがもう全然違うの。パリではね、一人の先生の門下に14歳から26歳位までの生徒がいるんですよ。大体10人位かしら。学年がないから年齢が下の人から上の人まで同時にレッスンするの。私の場合は5人の合同レッスンだったんだけど、お互いに弾いてる曲全部をそれぞれ聴き合うの。で、他の生徒の弾いてる曲の楽譜も持って行って、先生がおっしゃった事を全部書き込んでいくの。
―では日本のように、ここからここまでは自分の時間、というものはないんですね。
そう、ないの。だから先生が「今日は誰から始めるの?」って聞いたら、自信のある子から「ハイ!ハイ!」って言ってピアノをとっちゃうの。で、その子がある程度弾き終わって「次は誰?」って言った時には、もう次の人が座ってる。だから気後れしてたらまず座れないのね。
―日本人はついつい気後れしちゃいそうですね。
それに上手く練習していかないと、あっという間に他の生徒に椅子を取られるのね。「僕の方が上手く弾けるから退いて」って言われる。もう戦争ですよ。だから皆、表面上は和気あいあいとしてるけど、一週間毎が真剣勝負だから、自分の時間を確保したいと思ったらやっぱりバッチリ弾いていくしかないのね。それとね、持たされる曲の多さが違うの。私ね、一度のレッスンに、ラヴェルのコンチェルト(全楽章)の伴奏と、私自身がソロを弾くフランクの交響的ヴァリエーション(全楽章)、それからベートーヴェンのop.90のソナタ、その他にリストの超絶技巧練習曲とラ・カンパネラ。あとショパンのソナタ2番(全楽章)を持って行ったのよ。もう、一日中さらっても足りない。
―それを週1回のレッスンでいっぺんに弾くんですか。
いっぺんに弾けるとは限らないんだけど、うまく行けば「次は何?」「次は?」って聞いてくださるから「これを弾いてきました」って言って弾いていくのね。
あ、それから日本とヨーロッパの違いといえば、私一度すごい恥をかいたのよ。コンクールが終って一週間後にレッスンがあったのね。そういう場合、日本式でいくと顔合わせして、少しお話をしてから先生が各自の演奏を批評して終わりという感じでしょ?ところがそうじゃなかったの。何にも知らずに私、一週間何にも練習しないでルンルン、ってレッスンに行ったのね、そしたら先生が「ヤエコ、今日は何を弾いてくれるんだい?」って。
―えー!
それで、実は何もせずに遊んじゃった、っていうと先生の方が驚いて「えっ?何故コンクールの後に遊ぶのか?」って。まだ早いって。1位とったのが終わりじゃなくて、始まりなんだから、もっと勉強しなくちゃいけないって。
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―先ほどリズムの話が出てきましたけれど、その部分で先生はどういった訓練をされていたんですか。
それが、全然覚えがない。強いて言えばひとつね、私メトロノームをものすごく使うんです。今までにメトロノームを5台ダメにしちゃったくらい。昔のメトロノームはぜんまいを巻くでしょ。あれだとすぐねじ切っちゃうのね。基本のテンポを自分の中に植えつけるために、メトロノームに合わせてたの。結局基本のテンポをわかってないと、テンポルバートしたりテンポアッチェレしたりできないからね。
― 一説によるとメトロノームに合わせると音楽性がなくなるとか。
メトロノームに合わせたくらいで音楽性がなくなるんだったら、それはもともとないのよ。タクトをとられても、その中で歌える位じゃないとだめなの。あのね、一度パリの先生がね、私がレッスンに行くと「ちょっと待ってて、私30分だけさらうから」っておっしゃるの。そして、メトロノームかけながらラヴェルのコンチェルトさらってるんですよ。いかにリズム感が大切かということね。その30分間、すごくいい勉強させてもらいました。
―絶対リズム感を身につけないといけないんですね。
そう。それがあるからテンポを操作できるのね。
―でもメトロノームをかけてテンポルバートできるんですか。
できるのよ。よく千鳥足の人がいて、そういう人は一旦テンポルバートすると元のテンポに戻れなくなるんだけど、そうじゃなくて、ちゃんとメトロノームかけながらできるの。あのね、日本人はメトロノームをすごく嫌うのよ。あなたは好き?
―私はあまり好きではないですね。
嫌いな人もいるのよ。何か機械に支配されていると思うんだって。そうじゃなくてメトロノームと自分というのは2本のレールなんですよ。常に一定の間隔を置いて一緒に同調して歩いていくという感覚。それを体の中に植えつければいいのね。だから別にメトロノームに支配されてるわけじゃない。バッハなんかはね、裏拍にメトロノームを合わせていくの。そうするときちんと柱が立つ。これは見事に決まります。でもなかなか難しいのよ、これ。
―指を管理する、というか合わせて弾くのは難しいですよね。
そうね。それから、バッハでよく出てくる16分音符にもメトロノームかけて弾くの。一粒でも不揃いの音を出せないからね。
―16分音符にメトロノームかけてたらメトロノームが壊れるのもわかりますね(笑)。
そうそう。本当にね(笑)。メトロノームってね、扇風機にあたっても狂うし、ピアノの上に置いても狂うの。今のはデジタルだから大丈夫だけど。ただそれもデジタルの赤い光を目で追ってはダメよ。目で追った時には、もう遅れてるの。だからどこか遠い所へ置いて、それを耳で聴いて合わせるのね。そうすると体の中に同じリズムができる。次、たぶんこう出るだろうという予測のもとにピタッとあわせると一拍の感覚がすごく正確にとれるのよ。
―勉強された曲のテンポを決める時は、どのようにされるんですか。
面白いことにね、これはフランスでもロシアでも言われたんだけど、一つの曲はだいたい10通りくらいのテンポで音楽的に弾けなきゃいけない。例えばレントの曲をアレグロでも音楽として弾けなきゃいけないし、プレスティッシモの曲もレントで聴かせられなきゃいけない。人間って、あがっちゃうと、かつて弾いたことのないテンポになるじゃない。そうなるともう、弾いたことない、というだけで舞い上がるんですよ。それではイザという時に困るから、どんなスピードでも弾けるようにしておきなさいって。
―舞い上がっても冷静でいられるように、ですね。
そうなの。ちょっと話は飛ぶんだけど、競馬に出る馬を訓練する時に、「追い切り」っていう、騎手の乗った馬が若駒をものすごい勢いで追いかける訓練をするんですって。心肺を強くする為に。それをやっておかないと競馬に出せないんですって。もうアワふくくらいに心肺を強くしておかないとダメらしいですよ。だから私もね、自分で自分を「追い切り」してるの。
話は戻るけれど、テンポに関して、ヨーロッパの人たちってすごく自由なんですよ。誰かがこのテンポで弾いてたからこれが定番、ってことはないの。だから人のレコードを聴くなって言われた。あなたはあなたの演奏で自分の音楽を表現すればいいんだって。
―つい聴きたくなっちゃうんですよね。
そうなんですよね。でも出来上がったモノ聴いてどうするの、って。自分で楽譜から起こして作っていかなきゃいけないでしょ、って。



